とある内親王″姉妹″の顔と性格の変化についての考察 21

何かと話題のとある内親王姉妹の姉妹型における行動や顔の変化が気になって調べてみた

さて、お話しは即位礼正殿の儀の後に行われた饗宴の儀へ移ります。諸外国の来賓の方々のお衣装が素敵ですよ~。😄そして天皇皇后両陛下の今までの外交の積み重ねの結果がはっきりと分かると思います❗️😊🤗

もちろん(主役の💧)内親王姉妹もドレスアップして登場しますし…。😆

やっと戻って来たわね~❗️

キラリン❗️✨👁️✨

うわぁ❗️目が❗️目がぁ~❗️😱

うるさいわね❗️ムスカの真似なんかするんじゃないわよ❗️💢😡

 

2019年10月22日、夜7時20分。饗宴の儀。

宮殿竹の間で天皇皇后両陛下が来賓の方々をお迎えします。

ご立派な天皇陛下とシルクの薔薇を身に纏ったかの様な優美なドレスの皇后陛下。✨🌟

美しい衣装の各国の女性賓客の方々。✨✴️

豪華で素敵ですね~❗️目の保養。🤗✨🌟

イギリスのチャールズ皇太子(当時)です。

天皇陛下にとってはとても大切なお方✴️です。

スペインのフェリペ6世とレティシア王妃

レティシア王妃皇后陛下の力強い味方です。💪❤️

「正殿の儀は素晴らしかった。」と皇后陛下の労をいたわり、右手で背中や腕をさすって下さるのは、皇后陛下のお身体の事をよく解っていらっしゃるからですね。😢🙂

ハンドセラピーと言って「手で撫でる」事によって、“幸せホルモン”と呼ばれる「オキシトシン」という神経伝達物質の働きが促進され、ストレスや緊張を和らげるという効果があります。😊

レティシア王妃皇后陛下に必要な全ての成すべき事をご存知だったのですね。🤗

スウェーデンのカール16世とヴィクトリア王太子。

デンマークフレデリック皇太子とメアリー皇太子妃。
そしてオランダのウィレム=アレクサンダー国王とマキシマ王妃。

なんて素敵なご夫婦でしょう❗️✨

2006年の8月、ご夫妻は適応障害で苦しんでいた皇后陛下天皇陛下敬宮様と共に静養の為にオランダにご招待して下さいました。

スペインのレティシア王妃と同じく元キャリア・ウーマンとして、皇后陛下のお身体とお心の苦しみをよく解って下さっていたのですね。😢🙂

 

賓客の皆様は松の間に入り、高御座と御帳台を見学します。

次に春秋の間に移り、職員が飲み物を提供し皇族方がホスト役となって歓談します。🍷🍸

まずは皇族方の入室。

内親王姉妹です。何で姉はこんなに胸張って偉そうに威張って歩くんだろうね❓🙄

内閣総理大臣夫妻、衆参両院議長夫妻、最高裁判所長官夫妻等(三権の長)と挨拶。

賓客の方々を待ちます。

最初はパラパラと入室されていた賓客の方々ですが…。

しまいにはこんなに大勢の方で賑わいました。😄😆🌟✴️

妹はちゃんと英語で会話が出来ているのだろうか❓(英検4級😅)

姉の方がまだ少しは英語が話せるみたいだが…。🙄

この顔❗️😨(連続カットで❗️💧)

タコか❗️❓🐙 ちゅう。😍💋

ちゅうちゅう。😚💓💓相手が違うゾ❗️

ちゅう…。😘💋 男性:何だこの娘は❓

なんでこんなタコさん🐙唇で話すのだろう❓なんかもう話し方自体に品がないのよね~。😅

あまり英語が話せない分、まだ妹の方がマシ…。(何を飲んでいるのだろう❓この赤い飲み物は❓トマトジュース🍅❓🙄)

娘達はそれなりに頑張ってはいたものの、肝心な両親はと言うと…。

両親は春秋の間の入口で招待客の方々を出迎えます。

ここでこの情けない両親がやらかしておりました。😰

スペインのフェリペ6世と嬉しさを隠せない品のない顔で図々しくチークキス。

いきなりくず落ちるようにしゃがみ込むカーテシー。チークキスも無理矢理感たっぷり。

ついにキレるレティシア王妃。フェリペ6世に叱られる母親。

「えっ?何で~?」嫌われている事に全く気付いていない母親。アホ面が情けない。

振り向いて母親をチラ見するレティシア王妃。(クスクスww)😁

よく見ると手前に居る妹には通訳の人がついてますね。🙄ま、そんなもんだ。

父親もこの表情…。💧😱コワ~❗️

それに母親、また半袖丸襟のババシャツみたいなローブデコルテ…。💧

いい加減にしてくれ❗️😵😩

チャールズ皇太子(当時)にも食い下がる母親。

「今度、ぜひイギリスにご招待下さいね。」
「あ、そ。」
「いえ!絶対ご招待下さい!」

「何だね、キミは❗️❓💢」

凄い顔❗️❗️😨

まぁ、一応“暫定”皇嗣妃なので(被る資格はないが)皇后陛下がご成婚の時に被っていた皇太子妃のティアラを強奪して被っています。

まるでキツネ憑き🦊の様な顔ですね~。(醜い…。😅💧)

似合ってないし、ティアラに顔が負けている。それな👆🙄。

お鉢が大きいので無理矢理サイズ合わせで横に広げられたティアラが可哀想…。😭

 

8時30分頃から宮内庁「楽部(がくぶ)」の職員による舞楽太平楽」が披露されます。

私は雅楽が好きなのでつい脱線してしまう…。(音のテンポが自分に合っている。😅💦)

雅楽は笙、篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)、琵琶、箏、太鼓、鉦鼓(しょうこ)などの楽器を用いて演奏します。

雅楽はおよそ1200年前に大陸や半島から伝わった音楽に、日本古来の音楽が混ざり合い平安時代頃に様式が確立したとされ、複数の楽器を合奏する(つまりオーケストラ)音楽としては世界最古と言われています。

この幕は楽所幕(がくそまく)と呼ばれ楽人の背景幕として用いられています。

描かれているこの家紋は「五つ葉木瓜」「五花に木瓜」と呼ばれ「織田信長」の家紋として有名です。(「織田木瓜」とも呼ばれる。)

雅楽室町時代に相次ぐ戦乱の為、奏者も散り散りになり途絶えそうになったのですが、時の権力者織田信長が後ろ楯となり存続の危機を免れたのだそう。

その恩義の念を表す為にこの織田信長の家紋「織田木瓜」が幕に用いられるようになったのだそうです。🙂  ⏬「織田木瓜

太平楽」は雅楽の唐楽の中の一つで、即位礼の大礼の後に演じられる演目です。

武具を用いて四人の舞人が勇壮に舞う左方の武舞(ぶのまい)の中でも代表的な舞なのだそうです。

舞楽装束の中でも最も豪華絢爛な衣装で、複雑な甲冑装束を身につけ40分間舞うのですが、装束の重さは15㎏にも及ぶので大変な体力を必要とします。

凄いですね~❗️(一人で感動している。😅)

 

その後9時頃に皆様は豊明殿に移動し、テーブルに着席します。

天皇皇后両陛下が入室されると祝宴が始まります。☺️

天皇陛下ブルネイのボルキア国王。

スペインのレティシア王妃とオランダのマキシマ王妃の姿が見えます。

皇后陛下の特に仲好しなご友人達です。💕

皇后陛下のティアラやネックレスがキラキラしています。✨👑👸

皇后陛下の第一ティアラは多分この即位礼の儀式の為に手入れをしてクリーニングしたのでしょう。💎✨(恐らく婆も👹もそこまで気が回らないタイプ。)😁

豊明殿は宮殿で最も広い部屋で915平方メートル(約280坪)の広さなのだそうです。(比較の想像がつかない…。💧😅)

各テーブルはどの席からも天皇皇后両陛下のお姿が拝見出来るように配置されているそうです。

両陛下の隣に着席しておられるのは、招待客の中でも在位期間が長い国王の方々です。

天皇陛下の隣にブルネイのボルキア国王、皇后陛下の隣にスウェーデンのグスタフ国王が着席されています。

しかし、これから祝宴が始まるというのに出来の悪い弟はまたもやらかしてくれました。

隣席の方のドレスの裾を自分の椅子で踏んでいた事に気が付かず、それをご主人に注意されても謝りもせず平然としています。😱

ご婦人がちらっと不肖の弟の顔を見ても無視❗️です❗️💢

ご婦人も思わず苦笑しています。

なんて傲慢なんだこの男は❗️❓

バカな暫定皇嗣で申し訳ありません~。😰💦

何なんでしょう❓この夫婦は❗️❓恥ずかしい限りです。😨

内親王姉妹も誰とも会話出来なくて放置プレイ状態です。😂
大勲位菊花章頸飾。

我国からの贈り物だったんですね。😊

当時まだ国王に即位していなかったチャールズ皇太子は身に付けていませんでしたね。

イギリスの「ガーター勲章」の様な物でしょうか❓🤔

もちろんブルネイのボルキア国王にも贈られたと思いますが、タキシードではなく軍服をお召しなので身に付けておられないのでしょう。🙂

⏬饗宴の儀のメニューです。🍽️🍴

非常にこじんまりとしたメニューですが和食をメインにし、基本的には平成の即位礼のディナーのメニューを踏襲しているそうです。

それに経費節減を訴える不肖の弟💧の主張や招待客約300人分のディナーとなると中々難しいものがあったのかも知れません…。😥

しかし「かすご鯛の姿焼」なんて外国の方には食べるのが難しいですよね~。💦😅

⏬大正時代の饗宴の儀。

この時代のディナーはフランス料理みたいですね。😃

色んな意味で興味深い絵です。😋

⏬昭和、平成、令和の即位礼の比較。

令和の即位礼の費用はおよそ60億円が招待客の方々の宿泊費だそう…。🙄

こればかりは仕方ないですね。😥

昭和や平成の時代とは物価も違いますし、日本の経済レベルも爆下りしていますから…。

イケイケの平成時代とは比べ物にもなりません。😢

 

さて話題を蒸し返すようですが、故安倍晋三首相婦人が格式の高い五つ紋の留袖ではなく、訪問着を着用していた件ですが…。

物知らずではなく老舗の呉服屋で作った訪問着だったそうです。😨

老舗の呉服屋なら五つ紋の留袖を勧めるに違いないのですが、それでもあの訪問着で饗宴の儀に出席したのは昭恵婦人の意思だったようですね。🙄

やはり似た者同士のカップルだったのですね。😅

あのぉ~、バッグの蓋が開けたままでパカパカしてるんですけど…。🙄

(やっぱりまたやらかしている。😅)

この後、饗宴の儀は再び春秋の間に場を移して、ディナーの席ではお話しが出来なかったお相手と立食で歓談し合い、22時過ぎ頃まで続いたそうです。🍷🍸

ちなみにふと思ったのですが、皇后陛下のお身体を心配していたところが、全くのV字曲線のご回復ぶり。😳

早朝の宮中賢所の拝礼の後、午後からは即位礼正殿の儀。

夜の饗宴の儀では2時間近くも立ったままで賓客の方々をお迎えして、深夜まで立食で歓談、と…。

なんてタフネスなのでしょう❗️🤗

元よりバリバリの外交官としてずっとお仕事をされていて、いつもご帰宅が午前0時を過ぎる頃までになってしまっていたと言われていたのですから…。

ずっとご静養をしていたのは体力的な面ではないという事が分かりました。

アキシンの方々は「サボり」だと中傷していましたが、饗宴の儀で分かった皇后陛下と海外の賓客の方々との親密なご友情は一体いつ育まれたのでしょう❓

ご夫婦でいらした妊婦健診でも、お子様が産まれるまで性別は教えないで欲しいと担当医にお願いしていたそうです。👶

そして継承についても男の子が産まれるまで何人でも産むつもりだったと仰っていたそうです。😭

それなのに、あんな病気になってしまって…。

その辺の所、深掘りして行きたいと思います❗️😊🤔

…とは言いつつ細かい事情は分からないので、いつもデータをお借りしている「ガールズちゃんねる」さんのトピックに助けて貰いました。😳😅

そうだ❗️そうだ❗️😤

皇后陛下へのプレッシャーが目に見える程になった始まりはまだ皇太子妃だった時、既に新婚直後の東京サミットから…。😨

通訳無しで各国の首脳と会話する皇后陛下を誇らしく思っていたのですが…。💧

海外への訪問よりも早く世嗣ぎを産めと。😢

外交官としてのスキルを発揮するよりも求められているのは「男児」を産む事だ❗️と。😭

そして長い不妊治療の中で一度は「流産」という哀しい体験をされた皇后陛下ですが、ようやく2001年12月、輝く日の宮の敬宮様がお生まれになります。🤗👶🌟✴️

「生まれて来てくれてありがとう。」❤️

ご結婚の1993年6月から(当時の)皇太子妃殿下が帯状疱疹で入院するまでの10年間、ご夫婦の公務のスケジュールは凄まじい程の過密さだったそうです。

海外公務は許されませんでしたが、そんな中でもお二人は来日された海外の賓客の方々と友好関係を築いて行ったそうです。

ちょっと文字が小さ過ぎるので要約して下さっているコメントです…。⏬💧😅

打ちひしがれる皇后陛下。😭

したり顔でニヤニヤのメス🦊❗️

この事に皇后陛下は非常に大きなショックを受け、ストレスから帯状疱疹を発症してしまいます。😭

まだ幼い敬宮様に対しても謂れのない悪評が。😭

そして同年7月、ご静養から回復の傾向が見られない皇后陛下の状態に対して、医師団から正式な回答が出されます。

皇后陛下のご病気は「適応障害」と…。😰

当時は心身症ストレス障害などには全く無理解な世の中でしたからね…。😢

なので運良く男児をポンポンと産んで(疑惑有り?)、就職した事も無い為に社会性が欠けて世間ずれした“お嬢”のまま皇室に入ったミテコ氏には、皇后陛下のご病気は理解出来なかったのかも知れない。

これは同じく就職経験が無く世間ずれした“お嬢”のまま皇室に入り、男児出産のプレッシャーも無かった(当時は)メス🦊にも言えるのだろう…。😑

なので世間ずれしたミテコ氏の攻撃は止まなかった。😡💢👊

ひえ~。💦アテクシミテコ怖い。

ガクブル((( ;゚Д゚)))

 

心疾患の快癒には時間がかかります。

この時から皇后陛下の15年に及ぶ病気との闘いが始まったのです。😭

でも諸外国のロイヤルの方々は、情報の横の繋がりが強い❗️

心疾患についても日本より理解が進んでおり、また皇后陛下のお立場に対するシンパシーも尋常なものではなかったのでしょう。🤗

(当時の)皇太子殿下が東宮御所の玄関で海外の賓客の方々をお迎えしていますが、中に入った所には(当時の)皇太子妃殿下が笑顔で待っていらしたのですね。😊

そうして海外の王室の方々と友情を深めていったという事ですね。🤗

そういった事実を知らされていなければ、(当時の)皇太子妃殿下は来客のお相手も出来ず、寝室で寝込んでいたと勝手に思い込んでしまいます。😟

更にイジメまで❗️😨

どうしてそんなひどい事が出来るのでしょう❗️❓😡

ちなみに陛下がお一人で海外訪問に出発する際には、東宮東邸の車寄せで敬宮様とお二人でお見送り、お出迎えをしていらっしゃいました。

なので、諸外国の賓客の方がいらした際に車寄せにお出にならなかったのは報道のカメラがご負担になったのではなく、明らかにロイヤルの方々と親密な関係を示したが故にミテコ氏の嫉妬を浴びるのを恐れていたからなのだと思います。😢

 

さて、お話は即位礼の儀に戻ります。☺️

明けて10月23日の午後には東宮御所に外国王族の方々を招いてお茶会。

やはりタフネスですね~❗️🤗

オランダのウィレム=アレクサンダー国王とマキシマ王妃。

ヘチマカラーにほどこされたレースと同じレースのスカートが素敵。✨☺️

昔から仲の良かった間柄でずっと同じ「皇太子妃」でしたからね~。😄

カーテシーは序列が高い方に対して女性のみが行う欧州の挨拶ですから、メアリー皇太子妃は「仲良しのお友達」感覚がすぐには抜けなかったのかも…。😅

皇后陛下へのイジメについてはとてもとても話しきれないので、また別の機会にじ~っくりと考察したいと思います。🤗

でも今までのお辛い年月が報われて本当に良かった…。😭✨

 

あ❗️🙄、すっかり忘れていました。💧😅

10月23日は姉内親王の誕生日でした。😁

何でも前日の即位礼正殿の儀の時は体調が悪かったとかで…。

なんですって❗️❓😱(また❗️❓)

 

悩まし気な疑惑が浮上して来た所でVol.21は締めたいと思います。😄

内親王はまた性懲りも無く同じ事をしでかしたのか❗️❓

怒濤の嵐の予感と共にVol.22へなだれ込みます。✋

今回も最後までお読み頂いてありがとうございました。😊

 

もうこうなったら実力行使よ❗️

キラリン✨👁️✨

どぉゆう意味の“実力行使”ですかぁ~❗️❓😅

アタシは絶対にけぇくんと結婚するんだからぁ❗️❗️😤

 

⏫もはや「死に体」の自民党を背負って途方に暮れる岸田総理。(大丈夫かよ❓)